島で夫婦でWワーク。あの時のチャレンジがあったから今の私たちがある − オオミシマスペース 増田さん・徳見さん

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大阪・京都から新幹線と高速バスで2時間―――。
しまなみ海道で有名な瀬戸内海の大三島に降り立つと、目の前には大きな橋と青い海が広がっていました。

今回の旅の目的地はオオミシマスペース。シナジーマーケティング元社員の増田さん・徳見さんが運営する宿泊施設付きのシェアオフィスです。

都会から陸続き、長期滞在も可能な島のコワーキングスペース

オオミシマスペースは2022年現在、OMOYA・KOYA・HANAREの3棟で運営

――― 昨日はここで仕事をしながら大三島で1日を過ごしましたが、ひとりで集中して企画を練ったり、テレワークにはつきもののオンライン会議を行ったりするのにとても快適な空間としてデザインされていることに驚きました。そして都市部ではありえない眺望とゆったりとした島の暮らしにも癒やされますね。改めてオオミシマスペースのコンセプトを教えてください。

増田:
ありがとうございます。コロナ禍をきっかけにリモートワークが推進されていますが、ずっとオンラインで仕事が成り立つわけではなく、時には集まって何かを生み出していく場も必要です。そういうときに自由で自然な形で使えるタイムシェアリング型のシェアオフィスをこの大三島で運営しています。

増田さん:株式会社オオミシマワークス代表。freee株式会社 のフルタイムのエンジニアとのWワーク

徳見:
私たちは2016年に当時勤めていたシナジーマーケティングに認めてもらってここに移住してきました。シェアオフィスやワーケーションと言うと個人で仕事をしている人が利用するイメージが強いですが、働き方が大きく変わりつつある今なら、会社員の人も私たちのように仕事を持ったまま移住してくることができるのではないかと考えて、都会のオフィスや在宅勤務よりも快適に働ける環境を自分たちでデザインして整備を続けています。オオミシマスペースで仕事をしたことをきっかけに、大三島に移住する人を増やせたら素敵ですね。

徳見さん:株式会社オオミシマワークス役員。freee株式会社 のフルタイムのUXデザイナーとのWワーク

増田:
とはいえ、働く場所だけではなく生活環境も整っていないと大三島に長く滞在したり移住したりすることには繋がりません。小学生のお子さんと滞在されたお客さんがいたのですが、島の学校に中長期の受け入れ先がなくて仕事が思ったほど捗らなかったというケースもありました。こういった気づきは行政の方にも共有して、地域で解決する雰囲気を作っていきたいです。

――― 行政と言えば、増田さんの写真が載ったポスターが、道の駅の目立つところに貼られていたのにびっくりしました。

増田:
コロナ禍によってリモートワークが注目されたことをきっかけに、今治市や愛媛県から声をかけていただくようになりました。僕たちもオオミシマスペースの事業をはじめて3年目になり、個人だけではなく企業を誘致したいという課題があったので、そのためのスペースを拡張する手助けをしていただきました。具体的には、空き家バンクを通じてOMOYAとKOYAになる二軒を手に入れるために今治市の方には物件探しから売主との交渉まで積極的に協力していただきました。調印式に今治市長さんにも同席いただくなど、行政のリーダーの方々とお話させていただく機会も増えました。

徳見:
5年か10年後ぐらいにそういうステップアップはしたいよねって2人で話していたことが、コロナ禍をきっかけとした行政の後押しがあって、前倒しで早くなった感じです。当初はこんな小さなシェアオフィスにお声がけいただいたことにびっくりしたのですが、当時はシェアオフィスやコワーキングスペースがそもそも今治市内にはなく、愛媛県下でも松山市などにちょっとあるくらいで。 

増田:
最初はどうしてこんなに手伝ってくれるんだろうって思っていたんですが、自然減少する人口を食い止めたり、新たに産業を興して税収を増やしたりすることに僕たちの事業が繋がっていることに気づいてからは、遠慮なく頼らせていただき、こちらからもご協力をさせていただいています。

徳見:
テレビ中継の会場として使ってくれたり、街のCMを作ってくれたり、移住用のサイトで先輩の声として紹介してくれたり、今治市を元気にしようとする夫婦としてプッシュしていただいているおかげで、オオミシマスペースを広く知ってもらうことができてとても助かっています。

家族の未来は付箋で決める!?気がついたら会社を作ることに

――― まだテレワークの制度もなかった2015年に、シナジーマーケティングの社員として大三島へ移住して、コワーキングスペースを始めようとしたきっかけは何だったのですか?

徳見:
当時、UXデザイナーとしての業務の中で「地域での社会的活動」という研究テーマがあり、徳島県の神山をはじめとした地域デザインの現場を訪問して、現地で活動する方々と交流する機会がありました。その時に都会から離れた地域に住んで、暮らしと仕事を両立させることに興味を持ちました。

聞き手の森内は2020年シナジーマーケティングに再入社。
15年前は徳見さんと同じチームで肩を並べて仕事をしていました

増田: 
大三島は僕の祖父母が暮らしており、幼い頃から盆と正月は必ず帰省していた田舎だったのですが、祖父の働きかけがあり親戚の家を借りることができたので、シナジーマーケティングの社員としてリモートワークを続けながら島での生活を始めました。
ご近所からもらった野菜や自分で釣った魚でおいしい夕ご飯を作って、平日は浜辺で犬を散歩させて、休日には家族や友人とバーベキューをして・・・。わざわざ出かけなくても人間的で豊かな暮らしがそこにある一方で、エンジニアとしては技術イベントや勉強会などに参加できないもどかしさも感じるようになりました。そもそもこの島に暮らす若者がいなかったんです。

徳見:
私たち、 付箋を使ったブレーンストーミングでお互いの意見をすり合わせたりするんですけれど・・・

――― それってKJ法(*)ですよね?仕事やプロジェクトではよく用いる手法ですが、家族の話し合いでも活用してるなんて!

*文化人類学者の川喜田二郎氏が編み出したアイデア発想法で、アイデアを付箋に書き出して発散〜集約を繰り返しながらまとめていく手法

「2014年9月 理想の暮らしを考える」と書かれた記録

増田:
はい、ちなみに、移住の考えをまとめたのも付箋を使った振り返りからでしたね。
移住して1年が経った2016年の振り返りでは、「島で同世代の仲間がいない」という課題と「たくさんある空き家を活用して、人が集まる場所を作る」というアイデア、「ゲストハウスのオーナーをいつかやりたかった」のような長年の夢が相乗効果で膨らんで・・・

徳見:
そんなときに近所のおじさんが持ってる空き家を手放したがっている、という話を聞きました。中を見せてもらったら、人が集まる素敵な場所になる予感がして、家を買うことになりました。

増田:
近所でパン屋さんをしている方に県の補助金のことを教えてもらったんです。それで書類を提出して、無事に採択されたのですが、その補助金の条件のひとつに「法人を立ち上げること」という項目があって。いろんなことが重なった結果、「オオミシマワークス合同会社」を作って事業を立ち上げることになっていました(笑)

2016年に購入したこの古民家(現HANARE棟)からオオミシマスペースは創業しました

――― 社員のまま移住、それからほどなく起業してWワークに。当時、会社からは反対されなかったのですか?

増田:
はい、当時は取締役だった田代さん(現・代表)に相談したところ、大三島へ移住することには賛同してくれたのですが「部署やチームとの調整は自分たちで頑張って」ということで(笑)。そこで実際に移住をする前にしばらく、当時のマネージャーと相談してフルリモートを想定した働き方を試してみました。

徳見:
今の感覚からしたら慎重だけど、私たちもできるか不安だったので試してみて良かったよね。

増田:
当時からシナジーマーケティングの組織は同じ部署のメンバーが東西に離れていたし、当時僕がいた新規プロダクト開発チームでは、GitHubやSlackなどのツールを積極的に取り入れてほとんどの仕事がクラウド上で完結していました。マネージャーも僕が大阪にいるのか大三島にいるのかわからなくても仕事は回っている状態で。これはいけそうだなと確認してからふたりで正式に移住をしました。

徳見:
その後も、宿泊施設を作ろうと決めたら田代さんが最初に見に来てくれたし、 たくさんの同僚や元同僚が遊びに来てくれたりリノベーションの工事を手伝ってくれたりしました。私にとってシナジーマーケティングの良さはなんと言っても「人の良さ」と「距離の近さ」。社長であれ、部長であれ、同僚であれ、裏表なく話しやすい間柄は退職した今も変わっていません。

会社員と企業経営のハイブリッド、すごくみんなにおすすめしたい働き方

――― シナジーマーケティングから転職した今も、オオミシマスペースの経営と会社員のWワークを継続していますが、おふたりの職業観を教えてもらえますか?

増田:
僕はまず、オオミシマスペースの事業を営むいちユーザーとして、 freee のビジョン「スモールビジネスを、世界の主役に。」にとても共感しました。実際 freee のプロダクトを使っていると、ユーザーが各々の事業にフォーカスできるようによく考えられているしアップデートも早い。そういうプロダクトを作っている freee のカルチャーに興味があって転職しました。

徳見:
当時のシナジーマーケティングもヤフーと一緒になって大きな目標に向かって成長していましたけど、大三島で暮らす私たちの考え方や感覚からは少し距離を感じ始めていました。ただ、私の場合は17年間勤めたのでUXデザイナーとして違う環境で働いてみたかったという単純な理由が最も大きいです。

――― ふたりともはじめての転職ですものね。

徳見:
はい、シナジーマーケティングで学んだり経験したりしたことが私たちのキャリアのほとんどでした。
私は、シナジーマーケティングは常にチャレンジを後押ししてくれる会社だと思ってます。全社でUXデザインに取り組もうとしたとき、私は外部のUX講師に入ってもらうプランを当時の役員に提案したのですが「まずは徳見さんが自分でやってみたらどうかな」と逆提案されて。その後、私は時間をかけて自分でUXデザインの体系を身につけるのですが、あのひとことがなかったらUXデザイナーとしての今の私はありませんでした。

増田:
僕もシナジーマーケティングでたくさんのプロダクト開発にチャレンジした経験が今も活きています。
ところで、最近のシナジーマーケティングでは、スポーツのファンマーケティングや地域のファンづくりにも積極的に取り組んでいることを聞きました。まさに今の僕の関心事と重なる部分なので、純粋に応援したいという気持ちでいっぱいです。

――― 体はひとつしかないので時間が足りなかったりオーバーワークになったりはしないのですか?

増田:
オオミシマスペースの運営規模が広がって、たくさんの方に使っていただいて、その結果イベントでお話をさせていただく機会なども増えました。一方で会社員・エンジニアとしても徐々に大事なところを任せてもらえるようになってますます面白くなってきたので、多少無理をしてバーッと走ってしまうこともあったんです。そしたらあるとき徳見さんからアドバイスをもらって・・・

徳見:
今まで増田さんは、スピードアップとか効率化とかあんまり考えてなかったんです。たとえば誰かと面談する時にすごく時間をかけて事前準備をしていて、そこに対するストレスが高そうだった。だから、もう準備なしでできるようにしようよ、気の持ちようで時間短縮ができるよって。

増田:
大変なことは多いですがそれでも僕は、会社員と企業経営っていうハイブリッド、すごくみんなにおすすめしたい働き方だって思っています。だから、片方のことに注力すればもう片方の仕事にも貢献できる状態を作っていきたいですね。
地方創生という社会の動きがあって、県や市が移住や関係人口を増やす取り組みにオオミシマスペースが協力をして、ここで起業する人たちが増えて、freee のユーザーが増えて、プロダクトへのフィードバックが集まり、新しいアイデアも生まれてくるような。
家族との時間をちゃんと持てるようにしつつ、両方の仕事でちゃんと評価されている状態を目指して、仕事のやり方や考え方を日々工夫しています。

徳見:
それでも、時間短縮や効率化でなんとかできる部分には限界があります。これからは仕事を誰かに移譲していくとか、仲間を募って増やすとか、全部自分でなんとかしなきゃいけないという考え方は変えていかないと。

増田:
のんびり芝を刈っている場合じゃないですね(笑)

18時すぎ、会社員としての業務が終わると庭の芝刈りを始めた増田さん。
ハマると1時間くらい没頭することも

働き方の変化を追い風に受け、大三島をプロダクトが生まれる場所に

――― 移住してきた頃と比べて生活や仕事についての考え方は変わりましたか?また、将来の展望を教えてください。

徳見:
私、最初は、もしかしたら今もなんですが、地域に貢献したい!という強い思いは全然なかったんです。ただ思った以上に島に若い人がいなくて、本当にこのままだとこの集落がなくなって私たち住み続けることができなくなるのではと心配になってきて。。
それが人が集まる場所を作ろうと思ったことがきっかけで、オオミシマスペースの開業に繋がりました。ただそのときも、この辺に同世代の家族がいて、自分の子供が歩いて行ける範囲のところにお友達の家があったら素敵だなあ、というような願望です。増田さんはどうだったか知らんけど(笑)

増田:
僕の場合は1年住んでいるうちに、いろんな島のニュースが気になるようになりました。島に事務所を持っている建築家の方が東京の学生を招待するプログラムをやっているとか、同じ時期に移住した人たちが廃校の危機にある島の高校に下宿や食事を提供して協力しているとか。なんか僕も頑張らなきゃいけないなと思うようになりました。

徳見:
その頃と比べると今は、自分たちの事業や仕事と島の未来をかけ合わせて考えられるようになりました。インキュベーションセンターの大三島バージョンを目指すといいのかな、という話はしたよね。

増田:
この場所でハッカソンをやって新しいアイデアや新しいプロダクトが生まれる場所にしたいんです。個人だけではなく企業も集まるようになれば規模が変わってくると思います。今やってることは自分が好きだから力を注げているので、人が集まる場所の運営とエンジニアの職業をずっと続けながら、大三島が変わることにも関わり続けられることが理想です。

徳見:
そのための最初の課題は、このような考え方に共感してくれるエンジニアやデザイナーなどいろんな職種の人に大三島に住んでもらって、ちょっとしたIT村を作ることですね。他の地域と比べても大三島はまだまだこれからなので、興味を持ってくれる方を募集しています。

増田:
リモートワークが広がってきて、個人でも企業でもオオミシマスペースを使っていただく方が増えつつあります。時代が僕たちのコンセプトに追いついた、と言うのはおこがましいですが、僕たちの小さな願望によって始めたシェアオフィスが、何か大きな力によって追い風を受けている感覚があります。仲間を増やして、行政ともお互い協力して、この良い流れを続けていきたいですね。

徳見:
私は事業がちゃんと回るようにしてから、長年の夢だった海外生活をしてみたいんです。子供と一緒に違うところで生活をして、またここに戻って来たいんです。

――― そのときはまた付箋を使ってアイデアの発散と集約が必要ですね(笑)
今日はありがとうございました。会社のみんなにふたりの今の暮らしと仕事、そして大三島の素晴らしさを伝えて、今度は一週間くらいじっくりと仕事をしに来ますね。

(取材/編集:経営推進部 ブランドマネジメントチーム)

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